地蔵・神社など(北・西・東部)地図


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安意川稲荷 (A)

昔は現在地から約50m川下にあって、参道には赤い鳥居が10本以上並んでいたそう。それが昭和34年の伊勢湾台風で倒壊、相川の河川改修で鳥居をつくるスペースがなくなり、建て直すとき、鳥居を壁に埋め込んだとか。
 商売繁盛を願って遠方から、また、近くにあった穴切新地の遊郭のおいらんさんもお参りに来たそうです。春と秋には土手いっぱいに提灯をつるし、ぼんぼりを立て、花火を上げ、とても賑やかにお祭りが行われたそうです。

【住所】飯田5丁目付近

塩沢寺周辺の不思議な石造物 たんきりまっちゃん (B)

「厄除け地蔵尊祭り」(通称・厄地蔵さん)で知られる塩沢寺(えんたくじ)周辺にある不思議な石造物。古くから地元の人たちに「たんきりまっちゃん」と呼ばれるお地蔵さんです。、自然石が地蔵の胴体となっている、とても珍しいお地蔵さんです。
〈写真提供:甲府市〉

【住所】湯村3-17-2

御崎神社 (C)

太宰は、執筆の合間に住まいの御崎町周辺をぶらぶらと歩いていたようです。御崎神社もその1つ。太宰の家からは目と鼻の先にある神社です。当時、着流しに下駄という姿で散歩をしていた太宰を目撃した人もいるのでは?
 御崎神社は、初めは石和(現:笛吹市)にまつられ、武田信虎がつつじヶ崎に館を構えた(現:武田神社)時、館の守護神として、館の三の曲輪に遷座。その後、甲府城や城下町の鎮守として現在の場所に移し、まつられています。

【住所】美咲2-10-34

原山神社(うなぎ神社) (D)

ここにはなんと、うなぎの絵馬が!昔、疫病が流行った時にうなぎを奉納したところ、病が退散したからだとか。近所の方の話では、今でも毎年8月に、神社横を流れる相川にうなぎを放流しているそうです。
 この神社は腹痛の守護神。それはもしかして、"原"と"腹"のつながり!?
〈写真提供:甲府市〉

【住所】美咲1丁目附近

御金蔵稲荷 (E)

時は享保19(1734)年、12月24日。甲府城から小判や甲州金など約1400両(現在の1億円以上)が盗まれる大事件---甲府城御金蔵(ごきんぞう)破り---が起こる。
 その9年後、百姓の次郎兵衛が御用に。次郎兵衛は勤番支配屋敷に奉公し、水番として城内に出入りしているうちに、大手門の渡り櫓(やぐら)に納金があることを知る。そして、12月24日夜。石垣を伝い鉄砲狭間から城内へ忍び込み・・・。田畑を購入したことから足がついた。
 この事件をきっかけに綱紀粛正がすすめられ、城内には頑丈な御金蔵がつくられた。
 事件後、御金蔵は現在の県庁正面入口近く(スクランブル交差点のやや北側、信号の辺り)につくられた。
 その後、明治6年の廃城令で城内の建物が壊され、移築されるなか、御金蔵は残り、甲府中学(現在の甲府一高)が城内にあった時には体育倉庫として使われていたそう。
 昭和の初め、甲府中学の移転に伴い、御金蔵は朝日町に払下げに。"御金蔵稲荷"に生まれ変わりました。御金蔵破り後につくられたことから"盗難除け"のご利益もあるとか・・・。
写真・・・甲府空襲で焼失したので、現在は復興された2代目。今でも御金蔵をめぐる謎は多く残されたまま・・・

【住所】朝日公園内

東光寺の大地蔵 (F)

自然石の上に頭部をのせた、お地蔵さんです。東光寺町のお地蔵さんは、高さが5.6m!
とにかく、大きいんです!!
〈写真提供:甲府市〉

【住所】東光寺町附近

深草観音

甲府市上積翠寺町深草にある瑞岩寺の奥の院「深草観音堂」は、高さ数10メートルもの巨岩の中腹を切り抜き、その洞窟内に本尊を安置している。行基開創の伝説をもち、古くは岩洞(がんどう)観音とも称した。甲州三十三観音霊場の第六番札所。
〈写真提供:甲府市〉